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ご挨拶
ようこそいらっしゃいました雪次郎と申します。 シングルパパをもう何年もやってしまいました。現在も相も変わらずひっちゃかめっちゃかな生活をしております。余裕なんかないって感じでありまして、でも将来うんと年を取って自分の人生を振り返った時、子供とヒーコラ言って生活している時代が一番充実してて生きてる甲斐がしたと思えるような気が、、、でもその自信はどこから湧いてくるんでしょうか。気のせいなのでしょうか?その謎を解き明かすべく本日も「よっこらしょ」と重たい腰に掛け声かけて子連れの旅に出かけてきます。
シングルパパも人にベテラン と言われるようになるほど父子家庭生活を何年もやってしまいました。1997年10月(娘1歳)からですのでもう大分になります。最初は頑張って子供を育
てるぞという気負いだけが空回りし、闘病生活患者のように目だけがギョロギョロしてて悲壮感しか漂っていなかった様に思うのですが、少しずつその悲壮感と
いう周りにまとわりついた衣みたいな物は取れていき、まるで包帯をはがすように取れていき、んで ほどけた包帯の中から出てきたのは治癒した後の傷口だっ
たような気がします。ああ こんな傷だったんだなぁと傷ついてたことも知らず、そんなこともわからぬほど自分にとって結婚生活は鋭利な刃物でしかなかった
んだなぁと..
でも後は自然の風にさらしてかさびたを待つばかりって感じだったような...衣を取ってくれたり包帯をもう治ってるはずだとほどいてくれたのは言うまで
もなく自分の子供であり、子供が親の背筋をぴーんと立ててくれたり、精神的に介抱してくれたりすることがしばしばだということはあえてここで大声をはりあ
げる必要もなく、ですから親はあきらかに子供と一緒に大人になっていくわけであり、自分を導いてくれる指導者のようなもんでありまして、指導者であります
がゆえ愛情のみならず尊敬の念を感謝の気持ちを絶やさぬようと自分に言い聞かせることが出来たらいいなぁと思う日々なのであります。なーんてこと書くとい
かにも優等生的な発言ぽくなってしまうため多少抵抗を禁じ得ないのでありますが、でも 昔と今と違うのは 私は子供というものを尊敬するようになったと胸
を張っていえるようになったことです。愛情の対象としてでなく尊敬の対象として自分の心の中に存在し宿るようになったことです。含羞にもにた気持ちで子供
に対してひれ伏すようになったことです。昔は子を愛情の対象だとばかり思っていましたが、愛情はもちろんなんとなくわかりました、子供に対する愛ははっきりと実感をともないますので実態のあるものなのだということがわかりましたが、子供って愛情をそそぐのと同時に尊敬したり感謝の気持ちをさずかったりする そういういろんな複合的で神妙な存在だというように感ずるようになりました。だからなんなんだと言われそうですが、私は他の例にもれず、おそらく奥さんがいたら子供は全部奥さんにまかせっきりのしょーもない亭主だったことでしょう。はからずもシングルパパになり人様におそらく味わえないであろういろんな経験をさせてもらって、今思うことはこういう生活形態は決して悪くないということです。片親の生活を強いるため子供には申し訳ないのですが、また片親の家庭を推奨するつもりもありませんが、でもそうなったらそうなったでおもしろい人生を経験することがたくさん出来るような気がします。 母子家庭でも父子家庭でも片親の家庭生活のメリットは実はあげるときりがありません。子供と一緒に生活に土着して日々を過ごすわけですから笑ったり泣いたりがっかりしたりうれしかったり残念だったりと人が生きて味わう要素の一切合財が凝縮されたそんな生活の毎日がそこにはあります。人の平均年齢がいかに短くて困るかもわかります。結婚してたときは家庭という実態があるようで無いような幻と現実の間で生きた気もしないままのフラフラした自分にしょっちゅう遭遇しておりましたが、子供と石にはいつくばるようにして過ごすこの生活は目の前の子供の成長が自分が生きていることの投影であり、子供の笑顔は自分の幸福の瞬間であり、子供との会話は至福の喜びであります。それゆえ単純明快で生きることがこんなにもわかりやすいこの瞬間を涙を歯をくいしばってこらえるようなありがたさと微動だにしない気を付けの姿勢でもって世の子供達にも敬服してみようと思うのであります。そんなこんなの気持ちでこのホムペを更新させていただいております。なにかの縁でこのホムペを見つけてくれた方、もしこの親子の記録が何かの参考になってくれるようなら管理人としてとてこんないうれしいことはありません。
最後まで読んでくださいましてありがとうございました。
雪次郎
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